「良い母親像」から抜け出す
こんばんは、祐月です。
思い込みには大小ありますが、
今日は私にとって大きな思い込みだった
「良い母親にならなければならない」という思考の手放しについてです。
2人目を出産し育児休暇取得後に復帰した際、
私は「良い母親でなければ・・・」という強迫にも似た思いがありました。
仕事をしていても家事もそれなりにこなしたい、と思っていて、
以下のような生活をしていました。
朝4時過ぎに起きて瞑想&気功をやった後自分のお弁当・朝食の準備に夕飯の下準備をしたところで旦那と子どもたちが起床。
旦那と子どもたちが朝食を食べている間に布団を片付け洗濯物を干し、
保育園の連絡ノートを書いた後に自分の身支度をして出勤。
(保育園の送りは旦那がしている。)
保育園のお迎えは私なので、最寄り駅から自転車で保育園に迎えに行き、
帰宅後すぐに夕飯の準備。
子どもたちと一緒に食事を摂った後、洗濯物を取込み、
洗濯物をたたみながら、子どもたちに絵本を読み聞かせたり一緒に遊ぶ。
旦那が帰宅し夕飯を食べ終わるとすぐに風呂に入れてもらい、その間に布団を敷き子どもたちの寝巻の準備。
子どもたちが風呂から出ると着替えの手伝い、ドライヤーで髪を乾かし歯磨きをして寝かしつけ。
その後1人で入浴して就寝。。。
土曜日は旦那が仕事なので、家事も育児も私1人でやることになっていました。
自分の時間がないとダメなタイプなので、自分の時間を作るために平日に有給を取って休んだり、平日の夜睡眠時間を削って起きてみたり。
「私、何やってるんだろう・・・」そう思っていました。
スピ勉強してたのに!笑
なんでだかよくわからないけれど、
家事も仕事もこなす母親でなければいけないと思い込んでいて、
辛いと思いながらもしばらく続けていました。
でも、自分に余裕がなくてイライラして作ったご飯なんておいしくもないから子どもたちも食べないから悪循環。
子どもたちに八つ当たりなんてしょっちゅう(今も笑)でした。
よくよく考えると「誰に」良い母親って思われたいんだろう?
自分の母親?
友だち?
職場の同僚や先輩?
思いっきり他人目線で生きてましたから、
見え張りたかったんです。
でも誰に?
本当は自分に頑張ってることを認めてほしかったのに、
頑張ってるけどイライラしてうまくいってないから自己肯定ができなくて、
結局一番認めてほしい自分に認められていなかった。
そもそも「良い母親像」なんて人それぞれ持ってるイメージが違うし、
子どもは親を選んで生まれてくるっていうから、こんな母親のもとに生まれてくるのは魂の上ではお互い合意のうえなんですよね。
私が自分らしくいることが大切で、「良い母親像」なんて追いかける必要がなかったんです。
そして「良い母親でなくていいや」って思えたら、
本当に今までやっていたことをスッと止めました。
自分のやりたいことだけするようにして、旦那にやってほしいことはどんどん頼むようになりました。
今では旦那には「女帝だ」と言われていますが気にしていません。
たまに揶揄されることもありますが、「それが私だもーん、嫌ならどうぞ別れてください」と言い返しています。
世間の刷り込み状態である「良い母親像」、
人それぞれのイメージだとは思いますが、自分を苦しめているものでもあるはずです。
もし今母親業をやっていて辛いと感じているなら、
それは自分の中で握りしめている「良い母親像」のせいです。
「良い母親像」からかけ離れてしまう自分が怖かったり、母親失格だと思うかもしれませんが、それは自分の勝手な思い込みです。
人には得手不得手があるのだから、苦手なことにエネルギーを注がないこと。
頼めたり、やらなくて済むならやらないこと。
自分を、嫌な感情の湧く事柄から離していってくださいね。
お読みくださりありがとうございました。