『不倫=悪』は世間からの刷り込み
こんにちは、祐月です。
久しぶりの更新になりました^^
今日は不倫について持論を書きます。
ここ数年、芸能人の不倫が話題になっていますよね。
そして不倫している人はニュースやネットで叩かれたり、
芸能人であればテレビから姿を消すなどの社会的な制裁も受けています。
子宮委員長はるちゃんに出会う今年の春まで、私も『不倫=悪』って思ってました。
なんで配偶者がいるのに、悲しむ人や迷惑をかける人がいるのに不倫するんだろう?って思ってました。
でも、実際に不倫をしている人に会って話を聞いたり、
『田村淳の地上波ではダメ!絶対!』という番組の不倫している女性の話を聞いたりしているうちに、
『不倫=悪』って世間から刷り込まれた思い込みだなって思いました。
なんでそう思えたかというと、
前述した『田村淳の地上波ではダメ!絶対!』という番組で出てきた女性たちの話が、不倫報道のニュースでは見えない部分を見せてくれたからです。
不倫相手との非日常的なSEXがあるから、日々頑張れている、
自分はSEXしたいのに夫には求められず、自分の性欲を満たすための不倫である、
妻子ある不倫相手と17年不倫している(これはもはや純愛なのでは)、
というような、不倫することで自分または自分の家庭を円滑にしているという面があるということを知りました。
W不倫している方は、相手の家族を壊したくないという意見が多かったです。
性欲というのは人間が持っている三大欲求の一つだから抑圧させるべきものではなく、
上手く満たしていく必要があるものだと思います。
不倫に頼らずとも、夫婦で性欲を満たしあえれば問題ないとは思いますが、
それができないのであれば、セルフプレジャー(オナニー)する等して、
性欲も満たしていくことは自分を大切にするということにもつながるのではないかと思います。
人を裁く行為は、自分を不幸にします。
なぜなら、人を裁くということは、無意識に自分も裁いていることになるからです。
もともとワンネスである自分という存在を、裁くという分断の行為で、自ら自分をワンネスから遠ざけてしまうのですね。
ワンネスから遠ざかることは、幸せから遠ざかることです。
善悪、良い悪いなど判断する行為は自己を全体から分けてしまいます。
『世間の常識』はジャッジの宝庫ですから、自分が当たり前だと思っている中に、刷り込みが隠れているわけです。
私は、どんどん掘り起こしていきます。
本日もお読みくださりありがとうございました。
皆さまに素敵なことがたくさん起こりますように^^